墨をするということ


書道をはじめようとする方の多くにご質問頂くのが、「墨はすらなくていいのですか?」ということ。

また書道を始める子供たちの新しい書道道具セットをあけて、プラスチックやセラミックの硯が入っていてびっくりしたというお母さんたち。

 

「墨をするにこしたことはないけれど、その本当の必要性をご自身で感じるようになるまでは墨液でいいですよ」というのが私の考えです。

重たい石の硯を抱えてお稽古場にきて墨液をドバドバいれて、お稽古が終わっても硯を洗わずガビガビになっているんだったら、プラスチックのほうが軽くてタワシでごしごし洗えて合理的です。

「墨はすらなくていいのですか?」と聞いておいて、書く時間がないといっているようでは本末転倒です。

 

ある程度のレベルになったらすらずにはいられなくなるでしょう。

ご本人がその必要性を認識しない限り、私がどれだけいっても無駄なのです。

 

私は小さいころに書道をしている祖母の真似をして墨をすってみたけど、なかなか濃くならないし、すった墨で書いたところで墨液のほうがはっきりしてうまくみえるんじゃ…程度にしか思えず、学生のころは墨をするなんて本当に面倒としか思わなくなっていました。

大人になって、墨液はのびが悪すぎて草行書などが書けないとわかり、さらに仮名は墨液では絶対に書けないとわかりました。また作品を制作するようになってマチエールを求めるようになると同じ墨でも硯によって墨色が変わることもあるし、またすり方やその日の天候などで墨色は変わることなどもわかってきました。

そして自分なりに奮発して買ったものや、先輩方から譲り分けていただいた硯や墨は子供のころのそれとは違い、するすると墨がよくおり、あっというまにすれて、墨色もよく、またほんのりと良い香りがします。よく墨の香りといいますが残念ながら墨自体はほとんど無臭で良い香りがするのは白檀などの香料が入っているからです。また紙も機械すきは墨の良さがいきないのでむしろ墨汁のほうが発色がいいぐらいに思います。手漉きの紙はやはりすった墨でないと書きづらく墨液では書けないようなものも多いです。そういった紙は墨の良さをちゃんとうけてくれるので紙と墨の相乗効果で双方が引き立ちます。

墨をすることを自ら必然と思うようになり、それに伴ってある程度のグレードの道具類が身の回りにそろってくると墨をすることが素敵な時間に感じるようになります。

墨をすることは墨も硯も紙もある程度の物がそろえられてこそなのです。

 

ですから、その価値も必要性もまだ実感されていない方にははじめは墨液でいいですよという話になるのです。

臨書をしているうちにどうしてもかすれますとか、こんな風に書けませんということになれば、墨をすってみましょうかという話になります。

まずはセットに入っているような手持ちの硯ですってみると、大方の場合がうんざりすることでしょう。

そこまで気づかれたらもうちょっと良いものをそろえられてはどうでしょうか。

そこから先はご自身で一生涯の友となる硯探しの旅にでてください。

私もまだ旅の途中なので。

普段は大先輩がくださった端渓硯を大事に使っています。端渓は本当に墨のおりがよく実用性が高いです。これですると他のでは香りがたたなかった墨が良く香ってびっくりしました。

仮名や一滴すりたいときは雨端の手のひら硯。これはキラキラとした天の川のような斑紋がかなりお気に入りです。

大作を書くときは時短のため申し訳ないのですが墨すり機を使っています。三日三晩墨をするなんてことは今の私には時間的余裕がとてもありませんからそこは合理性を重視しています。

青墨をつかうときはならやのダイヤモンド硯を使っています。見た目はぶさいくですがきめ細かく早くすりあがるので助かっています。

いつかは歙州硯(きゅうじゅうけん)の板硯がほしくてたまらないのですが、いまだこれ!!というものに巡り合えず。財布も足りないか

自分とともに自分のお道具も成長します。

そんな中でも古くから変わらずずーと傍にいてくれるものもあったりしておもしろいです。